世の中の王道ルートを少し外れてみようとしたら転がり落ち、結果とても良かったというお話

こんにちは。

相変わらずスローペースなsuisuiです。笑

3月は確定申告、白川郷への旅行、5月からのリゾバ先をどうするか考えたり、ずっと行きたかったベトナム旅行の計画と、なんだか自分の中で次から次へとやることが湧いてくる月でした。

あっという間に4月に突入していて、まだまだ寒いと思っていたのに春の陽気。

桜も咲いてきてテレビで桜の満開情報が流れる。

実は私は1月~4月がとても苦手な時期でした。

というのも、1月は自分の誕生日があるにも関わらず、試験期間だったり受験シーズン、就職してからは1月の後半に大きな行事があることが多く、お正月明けのダルから抜け出せぬまま駆け抜ける忙しい月だった。

心休まる月ではなく、自分の誕生日も心から祝ってもらって嬉しかったのは幼少期だけだったような気がする。

2月~3月は、次の学年や卒業や入学に向けて変化していく時期、保育士時代は卒園式や1年のまとめの保護者会、年度末の書類や新学期準備に追われる日々。(この時期は体調崩しがちで、声が出なくなることも多々。ヒソヒソ声でしか話せなくなり、保護者の方が大根ハチミツを作って差し入れしてくれたりなんてこともあった。泣)

4月は新学期スタート。新しい学年、環境、新しい人、色んな変化に目まぐるしく、日々いっぱいいっぱいで駆け抜けるしかないという感じ。

だから、今の生活になる前にゆっくりお花見をしたのなんて、大学時代の1、2年の時くらいの記憶かも。

桜が咲いている場所は近くにいくらでもあった。

桜の下を通ることもあった。

けれど、心から桜の美しさを味わってお花見ができるようになったのは、保育士をやめ、リゾバ生活を始めてからだ。

いわゆる、王道ルートから外れてから私の心は正常に動き始めた、自分の人生を歩き始めたと言える。

王道ルートとは、大人たるもの安定した正社員、できれば大企業に就職、長く勤めて結婚、出産、家庭を持つ。

好きなことをして生きるのではなく、安定、安心、多数派が選ぶ方を選ぶということだ。

私もかつては、ずっと正社員でいなければいけないと思っていたし、なんせ自分がやりたいことも好きなことも分からない人生だったので、とりあえず周りの流れに乗っていたというか、流されていた。

そして就職して辛い時にはもうその流れには乗りたくないと心と体が抵抗し始めていたのに、それに気付かず、気付かないふりをして、無理にその流れに自分を乗らせようと尻を叩いていた。

そして転落。(私には初めて勤めた幼稚園で4年勤めた際に鬱になった経験がある)

なんとか元気になり、それでもまだ自分の本当の気持ちややりたいことが分からなかったため、正社員で保育園に再就職。

そこでもなかなか辛い状況になり、いっぱいいっぱいの時もあったが、後半は人との出会いに恵まれ、保育士になってよかったと心から思える経験もできた。

何より、怒りのエネルギーから「自分はこうしたい」「これは嫌だ」「これが好き」の芽が出始めてきた時期であり、それはあの辛い経験がなければ芽がでなかったかも知れないし、生涯恩師と言えるような人に出会えなかっただろう。

怒りから主体的に保育を学び始めた時は、自分でもビックリするくらい自分の中からどんどん主張が出てきた。

自分の考えや思いを学術的に説明し教え導いてくれた恩師のおかげもあり、それまで自分の意見があまりなく生きてきた人間だったのが、徐々に自分の意見が出てきた。

主張するのは苦手な人間だったが、自分が保育を学び少し自信がついてきたとこや園長とは似た考えであったこともあり、保育を熱く語る仲間にも恵まれた。

それは、「私はこういう考えです」と主張し始めたから、似たような考えの仲間が集まってきてくれたし、自分もそのような集まりに行くようになった。

まさに自分の人生で初めて主体的に生き始めた時期だったように思う。

その当時は、とにかく色んなことに興味が出てきたし、保育のことももっともっと学びたくて、自分で行きたい研修を調べて休日や仕事終わりにも研修に行ったりしていた。

なぜかホリエモンやキングコング西野さん、落合陽一にとても興味を持ち、3人の本を読み漁ったり、今までの自分と明らかに変化しているのを自分でも感じていた。

the意識高い系に突き進んでいる自分がいたのだ。

保育の仕事では、子ども達からはかなり慕われていたし(そこは自負している)園長や同僚、保護者から高い評価をされるようになっていき、居心地は悪くなかった。

しかし、どんどん仕事を任されるようになり、責任あるポジションになり、残業代が1円も出ないようなブラック労働の中で、どんどん自分の身を削っていたのだ。

保育が楽しくなってきた反面、責任が重くなることがプレッシャーにもなり、同僚からも保育熱心な良い保育士、というような目で見られ、そのイメージを崩したくない見栄もあり、今思えばその時も私は自分の尻をどんどん叩いていた。

やっと保育にやりがいを感じられるようになってきたし、職場にも恵まれている、恩師とも出会えた、だから保育の道をもっともっと極めるのだ!と。

でも、もうとっくに私はキャパオーバーだった。

土日はベッドとトイレの往復だけ、のような日々も多くなり、このままではまた鬱になってしまう、と危機感を感じていた。

保育園に向かう足取りも重くなってきてしまっていた。

心の奥底では、本当はゆっくりした日々を過ごしたいと願っていたのだと思う。

けど、そんな心の奥底の自分を知ろうとすることなんてその時はまだまだできなかった。

だから、一旦そこの保育園を辞めようと考えた。今思えば逃げたかったのだと思う。

園長には強く引き止められて、正社員ではなく、準社員でもいいから残って欲しいと言われた。

準社員は書類やクラスリーダー、行事等の重い仕事はしなくていい、残業もしなくて済むような働き方で、主に子育て中、介護中の人達が選ぶ働き方だった。

辞めるつもりではあったが、園長や保育を熱く語れる同僚からの引き止めもあり、私は準社員で残ることにした。

1年だけと思っていたが、結局新規園の立ち上げの助けにもなって欲しいとお願いさせて3年程は準社員だったかな。

少し余裕ができたので、少しずつ心も体も元気になっていったし、その間に気になっていたベビーシッターの仕事に挑戦してみたりもした。

ベビーシッターの仕事をしたのも自分の中で大きな変化だった。

都内の色んな家庭の中にお邪魔させてもらう仕事のため、色んな生活スタイル、仕事、色んな家庭の形を垣間見る機会だった。

中には家族と仲良くなり、シッターの仕事の後に家族の中に混ざって飲みに行ったりランチしたりするようなフランクな方々とも出会えてそれはそれで面白かった。

両親ともにフリーランス。旦那さんはパイロットで奥さんは医師。

旦那さん、奥さんともに起業家(そこのお宅は地下1階、地上3階の大豪邸で、かなり大きい高級ベッドの上で2歳児の子を寝かしつけるという場面も。笑)など、本当に様々な家庭に入りシッターのお仕事をさせていただいた。

なかなか出会えないような人達の生活に触れられ、私の中の価値観が少しずつ変わっていくのを感じた。

なんだか、世の中には色んな人がいて、色んな仕事があって、色んな生き方がある。

もっともっと自由に生きていいのではないか、と。

フランクなご夫婦は、正に自分達の好き、をそれぞれ仕事にしている方たちだった。

2人とも年齢がいってから授かった子どもだったため、体力的にも第3者の手が必要だったとのこと。

2人と会話をしていると、世界は広いし、もっと自由でいい。何とかなる。その時その時考える。

そんな気持ちにさせてもらえた。

そのような経験もあり、一度海外で生活してみたいという自分の願望があることを思い出し、

カナダで保育の研修を受けつつカナダで生活する、という経験にチャレンジすることにした。

そして、それを園長にも伝え、保育園を辞めることに。

自分にとってはかなり大きな挑戦だし緊張し、不安に思う自分もいた。

しかし、具体的に仲介してくれる会社と話を進めている時、コロナが出はじめ、海外渡航禁止、外出禁止の事態に。

カナダ行の予定は頓挫し、私は無職になった。

幸い、コロナ対応のおかげで失業手当はすぐにもらえたし、就職活動もしなくても手当をもらえた。

コロナ渦の外出自粛期間は、スーパーと家の往復だけ、人とは合わない生活。

さぞ寂しく不安で辛い生活だったんじゃ・・・と想像するかも知れないが、私にとって、その期間はなんとも幸せな時間だった。

仕事にも何にも追われない。好きなだけ寝て、起きて、ダラダラしてていい。

ただ自分が食べたい物を作り、味わって食べる。

「今日は何が食べたいかな?」と自分に問いかけ、スーパーで食材を選び、作り、食べるという行為だけで、自分はこんなにも満たされるのだ、と感じた。

人との約束もお誘いもない静かな生活。

(のちに私は人との約束が苦手でひとりが好きなタイプだと分かる)

今まで行かなかった、気にも留めなかったような近所のお店を調べてテイクアウトを買いに行ってみたり、近所をひたすら歩いて何年も住んでいた街の新たな発見をしたり。

そんな心穏かな時間は本当に人生の中で初めてなんじゃないかってくらい穏かだった。

そして、カナダ行がなくなってよかった、とさえ思った。カナダに行けばこのような穏かな時間は過ごせなかっただろうから。

のちに、カナダ行は海外に住んでみたい願望ももちろんあったけど、保育熱心な自分のイメージを崩したくない見栄のようなものも入っていた気がすると気付いた。

カナダに行っていたらそれはそれで刺激的でよい経験にはなっただろうとは思うけど。

私の心の奥底の本当の自分は、とにかくひとりでゆっくり休んで、何にも追われない穏かな生活がしたかったのだと思う。

それをコロナの存在が私にその望んでいた生活を経験させてくれた。

もちろんコロナは亡くなった人がいたり社会全体がピリピリ不安になったりで歓迎するものではなかったけれど、私はコロナに救われた、とさえ思う。

その後半年ほど無職生活をして(実家のぶどう農家を手伝ったりしつつ)、今度はもっと自分の自由を大切に、心に余裕がある生活をしようと、ベビーシッターをしながらパートや派遣で保育補助をする生活に。

そして、常連だった居酒屋のホールの仕事をしたり、興味のあった介護の仕事も経験してみたり、自分の中で自由に時間割を組むような仕事スタイルにした。

収入は安定しないし、職場があちこちで大変なこともあったが、自分で選択、調整している、という自由度、そして、一つの職場に依存しない心地よさも感じられて、人生の満足度がかなりあがった。

そして、コロナ渦で、ひとりの時間が好きだと気付いた私は、そのような生活の中でひとり時間を大切に、満喫するように意識した。

そして、気が乗らないお誘いは断るようにした。

その時は意識していなかったけれど、少しずつ自分の好きなことが分かり始め、その芽を育てつつ、嫌なことを少しずつ減らしていった時期だったと思う。

そのような生活をしばらく続けても良かったのだが、なんだかまだまだ自由に、もっと自分の好きに生きられる気がし始めていた。

そして、ちょうどコロナ前からお付き合いしていた彼と同棲の話が出て、ちょうど自分のアパートの更新も重なっていたため、彼との同棲をするために、色々掛け持ちしていた仕事を全て辞めることに。

その彼は仕事人間で、仕事が忙しく同棲の話がなかなか進められない時期だったため、一旦彼の家に私が住むことになったのだ。

その彼の家からそれまで勤めていた職場に通うことは難しかったし、自分の中でもさらに自由になるために一度リセットしたい気持ちもあったため、タイミング的には最高だった。

が、しかし。。

アパートの契約解除をして仕事も全て退職の手続きをしてから、その彼と音信不通に。。。

ちょっと、この彼とのことを書き出すとまた長くなりそうなので、そこは割愛。

(彼は幼少期に母親を事故で亡くしていたり、ワーカホリックだったり、少し病んでいるところがあったのだと思う)

その当時はとてつもなく辛くて悲しくて途方に暮れた。

なんせ家も仕事もなくなって、次に住む場所も彼という大好きで運命の人とさえ思えた人もいなくなってしまったのだから。

彼のことはだいぶ引きずってしまったが、仕事漬けの生活を変えるのが怖かった、勇気がなかったから逃げたんじゃないか、と今は思っている。

それにしても、当時の私、かわいそうすぎるな。笑

よくニュースで聞く「住所不定無職」というものになってしまった私は、実家に帰るしかなかった。

その当時、帰れる実家、受け入れてくれる両親がいることは本当にありがたいことだと思った。

引っ越しまでの間はかなり落ち込み、泣き、気に入っていた街、自分の部屋ともお別れなのが寂しくて仕方なかったが、引っ越し当日になると、不思議な程に気持ちが切り替わり、「自分の人生をまた1からスタートさせる」という気持ちになんだか興奮すらしていた。

引っ越しの手伝いをしに来てくれた両親はさぞ落ち込んでいるだろうと想像していただろうが、逆に元気な私に驚いたかな。笑

両親は本当にいつも私のサポートをしてくれていた。鬱の時も、何も言わずに休ませてくれてじっと見守っててくれた。

実家に帰った私は、もう何も縛られるものがないなら行きたいところ行こう!!

四国に長く滞在したい!!!(四国は保育士時代にはじめてひとり旅をした場所で瀬都内の雰囲気が大好きだった)

そういえば住み込みで働けるリゾバというものがあったじゃないか!!!

というわけで、私の今の生活の幕が開けたのです。笑

かなり端折った気もするけれど、要するに、私の人生は王道ルートから転がり落ちたところからスタートして、

自分の足で、自分の行きたい方向へ歩けるようになってきた、というお話でした。

(最後まとめかた雑すぎる。笑)

今は人生がだいぶ生きやすく、だいぶ楽しいです。

人生で今が一番心も体も身軽な感じ。

王道ルートからちょっと外れてみたり、最終的には転がり落ちた悲劇なようなこともありましたが、そんなきっかけがあったからこその今の生活がある、と思うと、悲しかったり悪いように思えることが、本当はいい方向に繋がる大きなきっかけだったりもするんだなと思えてくる。

確かそんな言葉があった。

「人間万事 塞翁が馬」だったかな。

本当にその通り。

いいか悪いかなんてすぐには分からない。自分が決めつけているだけのこともある。

私は、王道ルートから外れる必要があったし、転がり落ちて本当に良かったと今は思えています。

全くこの生活に不安がないわけではないけれど、今が一番幸せで、今が一番自分が好きで、今が一番自分で自分を生きている、という実感があるから。

だから、音信不通野郎になったビビりな彼にも感謝の気持ちすら湧いてくるようになりました。笑

どうか元気で過ごしていてください、と。

今回も長い自分語りになってしまったけれど、これが私の今の生活スタイルになった経緯です。笑

王道ルートで幸せな人もいる。

王道ルートに必死にしがみついて辛い人もいる。

王道ルートなんて知るもんか、と最初から我が道を行く人。

王道ルートから外れて、転がり落ちてようやく自分の本当の幸せとは何かを考え始められる人。

色んな人がいる。

だから、自分自身と仲良くなって、自分の奥底にいる本当の自分と出会って、自分を観察し、理解し、相談して進む道を決めていく。

周りや家族、世間の声じゃなく、心の奥深くで、小さくか細く叫んでいる本当の自分の声と気持ちに気付くこと。

そうしていくことでしか、人は自分で自分の人生を歩むことはできないんじゃないか、と今は思っています。

昔よりはだいぶ王道ルートを選ばない人が増えているけれど、まだまだ皆と同じ道が安心、という人も多い時代。

何が正解か不正解か分からない時代。

だからこそ、自分が納得して進むことが大事。

疲れている人は、まずは休んで自分の声を聴くことが大事。

道は色んな道があるし、世界は広い。

本気で自由を得ようとすれば、実はいくらでも自由になれる時代。

どこに住んでも何をしても自由なのだ、と。

さてさて、

王道ルートから外れてみようと試みた途中、転がり落ちた私の人生のお話、ようやく終わります。。。笑

最後まで読んでくれた方がいたら本当にありがとうございます。

あなたも自分が納得して自分の人生を自分の足で進めますように。

健やかでいられますように。

suisui

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