本格的にblogをやってみたいなぁと思い始めて2年、そこからblogのドメインを開設まで1年。
開設したにも関わらずホームページを作成して初投稿するまで3か月・・・。
いやぁ、長い道のり、というかとてもスローペースだ。笑
昔、横浜中華街によくある500円の手相占いのあばちゃんに、
手に平を見せた瞬間「あなた!!!お金の才があるわ!!」と叫ばれ、
「えっ!!」と戸惑っていると、しばらく無言で私の手の平を見つめ
「んーーー、でも行動するのが遅いからダメね!!」と吐き捨てられたのを思い出す。笑
おばちゃんよ、お金の才はともかく、私のことを見破っておりました。笑
でもでも、とにかく、こうやって死ぬ前に憧れのblogを始められたことだけでも私にとっては花丸。
そんなこんなで、ゆるゆるとマイペースにblogを楽しみたいと思います。
このblogは自分の人生の記録でもあり、何か表現したいなという気持ちで始めますが、
もしふと誰か目に留まって共感したもらえたり、ひとりの時間を楽しむきっかけになったり、
こんな生き方もあるんだと知ってもらえたり、世界が広がり、
少しでも気持ちが楽になってくれたら嬉しいな、、なんて気持ちもあります。
blogのテーマ
「人生は私を好きになるための旅」
~ひとり旅推進員会~ ひとり時間とひとり旅のススメ
ひとりの時間が本当の自分と出会わせてくれた
なぜこのテーマなのか。
それは、幼少期からずっと生きづらさを抱え、自分を見失って生きてきた私が、ひとりの時間によって少しずつ自分を取り戻し、だいぶ生きるのが楽になってきたという実感があり、生きづらくないってこんなに人生が違うものになるんだ!と感動し始めているから。
生きづらさを抱えている時は、生きづらくない正常な状態が分からないため、それが普通だと思っていた。
今思うと、心や体に100キロくらいの重りが常に付いているような感覚で、心も体もズーンとかなり重い状態だったと思う。
だから朝も起きたくなかったし、次の日がまた来てしまうから夜も寝たくなかった。
しかし、生きやすくなってくると、心も体も軽くなり(体重が軽くなったわけではない。笑)こんなにも心が動いたり、何かに興味が持てたり、行動的になれたり、人生が楽しくなっていくんだ!とまるで100キロの重りがなくなった感じなのだ。
そして、自分のことがずっと大嫌いだった私だが、少しずつ自分のことが嫌いではなく、好きになれてきている。
自分と少しずつ仲良くなり、やっと信頼関係ができてきているような気がする。
生きづらい人は、自分のことが嫌いな人が多い気がする。
自分が好きというのはナルシストとかそういう意味の自己愛ではない。
自分が嫌いというのは、今よく言われている「自己肯定感が低い」ということでもある。とにかく自己否定がすごい。
私が私を好きになれてきたのは、「ひとりの時間」「ひとり旅」のおかげと言える。
もちろん、自己啓発書を読み漁った時もあるし、心理学、哲学、スピリチュアル系の本等もたくさん読んだりもした。
でも、本を読んでいい言葉やいい考えに出会えて「よし今度こそは」と自分を変えようとするも、あまり変わることができなかったし、むしろ変ろうとすること自体が今となっては間違いだったとも思う。
「変わりたい」「成長したい」「成功したい」
このような言葉はポジティブな言葉である反面、今の自分を否定する側面もある。
「今のままの自分じゃだめだ」
「こんな自分じゃ価値がない」
「成功してみんなより良い人生にしたい」
もちろん、このように強く思い行動することで幸せになったり成功したりしている人もいるだろう。
しかし、私にとってまず必要だったのは、自己理解と自己受容だった。
自分の性質、好き、嫌い、向き、不向きを良く知ること。
どんな自分でも価値があり、どんな自分・どんな感情もいていい・あっていいと受け入れること。
自己理解・自己受容という木の根っこのようなものがないまま、木に大きく良く育てと言っても無理がある。
その無理をさせようと自分にムチ打っていたのだ。
「ほら、みんなはあんなに立派な木に育っているのに何で大きくならないの!?早く!!」と。
皆と同じような立派な(立派に見える)木にならなければ自分には価値がないと感じていた。
色々な本を読んだことは無駄だったかというとそうではない。
特に哲学や心理学はとても自分の興味があるジャンルで、難しい本はなかなか心が折れたりもしたが、自分は心や生き方について考えることが好きなんだなと分かった。
でも、私が本当に自分のことを好きになり始めたのは、ひとりの時間の中で、自分と二人きりで(ひとり)、自分のことを観察し、理解し、自分に常に寄り添うようにし始めてからだ。
好きなこと・好きな食べ物を見つけては経験させたり食べさせたりし、腹が立った時には愚痴聞き役に徹し、疲れた時は入浴剤を入れたお風呂に入れさせて美味しいものを食べさせ温かい布団で寝かせる。
ひとり旅では、自分が行きたい場所に行き、行きたいお店で食べ、見たい景色を見たいだけ見る。自分が好きだと思った景色や物事、感動したことを覚えておき、またそのような経験をさせてあげられるように手配する。
自分の中に自分専用の執事を育てていったような感じだ。
もちろん、感情が高ぶりすぎたり、乱れすぎたり、生理前のPMSの時はには執事が出てこれなくなることもある。
だけど、少しずつ自分が好きなこと、喜ぶことを知り、またそれを与えてあげる。
自分にとって嫌なこと、悲しいことを知り、そのことからはできるだけ距離をとってあげる。
そんなようなことを少しずつ少しずつ積み重ね、自分の中の拗ねに拗ねまくって分厚いドア、難解な鍵までかかっている地下室で「もうここからでてやるもんか!」「絶対に許さない!!」と激怒していた姫(本当の自分)と少しずつ関係修復ができてきた感じ。
でも、本当は、というか、幼いころは、誰しもが無邪気な姫であり王子であるはず。
それを、色んな辛いことや悲しいことがある度に(家庭環境や言葉も含まれる)、そんな姫のままじゃダメ、そんな無邪気でワガママでいては大人になれない、そんな幼い姫みたいに夢見ちゃダメ等と、自分で自分の中の姫をどんどん地下室に追いやり、分厚いドアで閉め、難解な鍵をかけ、そんな姫は自分の中にいなかったようなふりをして生きていく。
それが私の人生だった。
一番近くにいる自分という存在が自分を否定し、嫌い、暗く狭く深い地下にどんどん追いやって分厚い扉で声すら聞こえないようにして、難解な鍵をかけたのだ。
セルフネグレクトという言葉もあるが、これではセルフ虐待だ。
自分のことを姫と思うのは少し照れくさいけど、「お嬢」でも「マイハニー」でも何でもいい。(全部照れくさいわい。笑)
とにかく自分のことを何よりも尊く愛されるべき存在(姫)とし、そんな存在を無条件に愛し、常に喜ばせて幸せでいられるようにめちゃくちゃ世話焼きな存在(執事)を自分の中に育てる。
そんな感じ。
それができるのは、やはりひとりの時間なのだ。
姫である自分のワガママも、やりたいこと、食べたいもの、行きたい場所を全て姫の仰せのままにするには、ひとりでないと難しい。
なんせ、姫はかなり気分屋なのだから。
生きづらさがマックスの時は、大人になるって、毎日大変でしんどい仕事を身も心も削りながらしていくことなんどとどこか絶望モードで生きていたが、今は違う。
大人になるって素晴らしい。
自分で稼いで自分の好きな所に行き、自分の食べたい物を食べ、自分のしたいをどんどん叶えていけるのだから。
と思えるようになってきている。
一応読み返してみたけど、
このblogを始めた意図がこの文章で伝わるのだろうか。笑
不安もありつつも、とりあえず最初の投稿をしたい、という意気込みで初投稿としてみます。
私という人物の自己紹介は次の記事で書きたいと思います。
もしこのblogが目に留まって最後まで読んでくださった方がいたら本当にありがとうございます。
あなたひとりだけにでもこの文章を読んでもらえたことが、私にとってとても嬉しいです。
それではsuisuiのblogゆるっとスタート☆

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